ハーブと聖書

聖書には香りに関する記述が数多く出てきます。
嗅覚は人間にとって根源的な感覚の一つであり、香りが精神や肉体にもたらす効果は、原始キリスト教の時代から認識され、重要なものとされてきました。
いくつか、例を挙げて見ましょう。

■香をたいている間、多くの民衆はみな外で祈っていた。すると主の御使が現れて、香壇の右に立った。(ルカによる福音書1:11)

■さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとが、行ってイエスに塗るために、香料を買い求めた(マルコによる福音書16:1)

聖書の中では、祭壇にお香を焚いたり、聖なる油を塗布するという形で、香りが利用されています。
しかし、クリスチャンの伝統の中でも、流派や教会によって、香りの使用については見解が様々に分かれています。お香や聖油が、たんに必要のないもの、もしくは異教的なものとして退けられる場合もありますが、カソリックやギリシャ正教会などでは、よく用いられているようです。英国国教会では、洗礼などには通常、聖油の塗布を行いませんが、戴冠式の際にはよい香りの聖油が重要な役割を果たしており、クリスチャンと香りの関係は多岐に渡っているようです。

しかし、教会における香りの使用の意味や妥当性といった難しい問題はさておき、精神を高め、肉体を癒す香りの働きを、古の人々はよく理解していたようです。

■あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老達を招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。(ヤコブの手紙5:14)

聖書の時代には、油を料理や燃料として使用しただけではなく、病気や怪我の治療にも用いていたようです。シンプルなオリーブオイルがよく用いられましたが、香料が加えられると、よりスピリチュアルな意味合いが強まったようです。

■その時、マリヤは高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。すると、香油のかおりが家にいっぱいになった。(ヨハネによる福音書12:3)

「アロマセラピーの守護者」と呼ばれることもあるマグダラのマリアが、上記の場面で使ったのはスパイクナードの香油だと言われています。最近、私達の生活にすっかりなじんだアロマセラピーですが、改めて、その歴史の深さを感じますね。

イエス・キリストが生まれたときも、東方の三博士がミルラとフランキンセンスを献上する場面があります。ミルラは偉大な医者の、フランキンセンスは偉大な預言者の象徴だと言われています。そのほかにも、シナモン、アロエ、コリアンダー、ミントなどなど、私達にもおなじみのハーブの名前を、聖書の中に数多く探すことができます。
出エジプト記の中には、以下のような聖油のレシピを見ることもできます。

■主はモーセに仰せになった。上質の香料を取りなさい。すなわち、ミルラの樹脂五百シェケル、シナモンをその半量の二百五十シェケル、匂い菖蒲二百五十シェケル、桂皮を聖所のシェケルで五百シェケル、オリーブ油一ヒンである。あなたはこれらを材料にして聖なる聖別の油を作る。すなわち、香料師の混ぜ合わせ方に従って聖なる聖別の油を作る。(出エジプト記30:22-25)

キリスト教における香りの定義については、様々な議論がなされており、一言で説明することは難しい状況です。聖油の中には精霊が宿っていると信じる人もいれば、単なる神の恩寵の象徴に過ぎないと捉える人もあります。
しかし、香りが精神を高め、よりよきものを求める気持ちにさせてくれることは確かでしょう。
教会でよい香りを漂わせることは、神の愛の美しさを地上において表現することと同じなのだ、と説明する指導者もいます。

■わたしの祈りを、み前にささげる薫香のようにみなし、
わたしのあげる手を、
夕べの供え物のようにみなしてください。(詩篇141:2)

祈りと香りはよく似たもののように思えます。
どちらも、目には見えませんが、祈りは、よりよきものを希求する私達の心の中の高貴な部分の現れであり、香りも、目には見えない植物の美しさの本質を表しています。
美しい香りによって研ぎ澄まされた心が、愛や平安を祈る気持ちを呼び起こすのは、信仰の有無を問わず、ごく自然なことでしょう。
聖書の中で、古の人々が植物と親しみ、香りがもたらす贈り物を活用している姿を見ることは、時代や洋の東西を越えて、現代の日本に住む私達にも親しみと懐かしさを覚えさせてくれます。

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