ハーブの歴史
第1回 【人と香りとの出逢い】 |
匂いの中で、美意識などを感じるものを「香り」と言いますが、この「香り」を人が意識し始めた時期は分りません。 ただ、人は、火を手に入れることにより、香りと出逢った・・・と考えられています。 香を表す英語の「Perfume」は、「Per(throught)+fume(煙)」という成り立ちをしています。 その事から、良い香りに出逢った最初の方法が、火に関連することであったと考えられているのです。 火の発見からしばらくの間、火を神秘的なもので、空に昇っていく煙と匂いは、自分たちの祈りを天に届ける役割を持っていると、人は考えていました。 その後、神々の怒りなどを静めるために、食物やいけにえと一緒に香煙を捧げるなど、火と香りは結びついているもので、また、神秘的なものだとされていました。 しかし、時が進んでいくと、香りを作るためには火は使わなくても良いこと、香りは水や油に移して体にすりこむなど、神だけのものではなく、自分たちも使えるということを知ったのです。 自分たちも使えると知った最初のうちは、神聖だとされていた王や神官の体に香が塗られていましたが、しだいに、彼らの臣下や子供に、そして身分に関わらず香料が広まり、日常生活でも使われるようになっていきました。 このようにして広まった香りは、日常生活、宗教的なシーン、歴史の中での色々なシーンなどに登場するようになりました。 |
第2回 【古代エジプトにおける香り】 |
最初に多くの香料を使うようになったのは、古代エジプトです。 宗教的儀式、日常生活、ミイラの3つにおいて、色々な香料が用いられました。 シナモン、ナツメグ、アーモンド、乳香、ミルラ(没薬)、ローレル、ジュニパー、ムスク、シダーウッド、オレガノ、カンショウ、コリアンダー、ショウブなど・・・ 今日でも広く知られているものが香料として使われていました。 <宗教的なシーンでの香り> <日常生活での香り> <ミイラ> |
第3回 【古代ギリシアにおける香り】 |
<古代ギリシアにおける香料> 古代ギリシア人は、香料の製造方法、特性、使用法などの知識や風習を、エジプト人から学んだと言われています。 古代ギリシア人たちは、香料は神の持ち物であると考えていました。 初期のギリシア人の誌では、全ての女神が香りを感じさせる描写となっていることからも、香料は神の持ち物だと考えていたことが分ります。 たとえば、ホメロスは、ユノがヴィーナスと会うための準備をしているときの様子を、 次のように描写しています。 『ここでまず彼女は風呂に入った。 そして、体中に注ぐ香りある柔らかい香油と、神々しいシャワーをかぐわしい微風として送った。』 ギリシアでは、このように、香料を神と結びつけていましたが、次第にエジプトと同様に、香料を売買するようになっていきました。 紀元前594年には、香料に夢中になり過ぎたギリシアの人々の熱を冷ますために、香料禁止令が出されました。 しかし、その程度では、人々の香料に対しての熱を冷ます事は出来なかったのです。 この頃のアテネでは、数百と大変多くの香料職人が香料を売り、 その中でも有名なお店では、複数の種類の香料を売っていました。 この時代の香料は、花・葉・木・果実・ガム樹脂を用いて作られ、また、ほとんどがこれらを混ぜて作られていました。 古代ギリシアは、地中海の温暖な気候だったため、デリケートな匂いの花が多く育ち、 また、あまり汗をかかない気候だったため、体臭を隠すために強い香りをつける必要がありませんでした。 そのような土地だったために、古代ギリシアでは、エジプトとは違って、身近なクロッカスやヒヤシンスなどの花をメインとした香りが好んで使われていました。 このような香料を、女性は身体の色々な部分に用い、使い分けていました。 <香料の研究> |
第4回 【古代ローマにおける香り】 |
<ギリシアの影響を受けていたローマ> 古代ローマ人は、香料も含め、ギリシアの文化の影響を強く受けていました。 ローマ帝国時代には、特にそれが強く、香りの好みや習慣までも真似をしていたほどです。 例えば、ギリシアの女性が身体の部位によって、異なる香料をつけていたことを、ローマ人は取り入れていました。 また、ギリシア同様、ローマでも多くの香料店があり、紀元前1世紀には、ギリシアのアテネの絶頂期と同じくらいの香料店があり、カプアという都市では、ひとつの通りにぎっしりと多くの香料店が並んでいました。 <日常生活での香料> <香料の贅沢な使用> その後、アントニウスを自分の部屋に招き入れる時には、床一杯にバラを散らして、その香りでより一層自分の魅力を際立たせました。 |
第5回 【古代・中世アジアにおける香料】 |
<中国> 古代中国では、エジプトやギリシャ、ローマとは違って、ハーブや香料が日常生活で 大量に消費されるようなことは無く、また、香料についての具体的な製法、使用法、材料などについての記述も少ないのです。 ハーブや香料などと思われる数少ない記述が、礼記(周から漢にかけて儒学者がまとめた礼に関する書物を戴聖が編纂したもの)や詩経(中国最古の詩篇)に残されています。 その中には、白ヨモギ、ヨモギ、椒聊(さんしょう)、蓍(のこりぎそう)、苓(甘草)、芍薬などがあり、布を織る材料や、食用、薬用になっていました。 <古代インド> <日本> |
第6回 【ローマ帝国時代以降における香り】 |
<東ローマ帝国> 476年、西ローマ帝国がオドアケルに滅ぼされると、生き残ったローマ人達は、東ローマ帝国のコンスタンチノープルに逃れました。 この時、香料についての知識もローマ人達によって、東ローマ帝国にもたらされたことは、東ローマ帝国の経済に大きな影響を与えることになりました。この帝国の宮殿は、東洋の様々な香りが漂い、また港は香料の貿易の中心でした。 その後、コンスタンチノープルは、アラビア人による支配下となり、同時に香りを扱うのもアラビア人へと替わりました。 彼は蒸留法の最初の実験に、アラビア人が最も好んでいたローズを選びます。 それ以前は、匂いはワインのベースか油性の混合物に混ぜて作られていたので、古代の女性が身体にまとっていた香りは、現代の香水をつけている女性とは異なり、スパイスの匂いがとても強く、酸敗臭がしたと考えられます。 <12世紀以降> ・ローマ時代以降、ヨーロッパでの最初の香水の発明は、ラベンダー水と言われています。 ・1370年頃、フランスでシャルル5世がルーブルにラベンダーを植えさせていた頃のハンガリーでは、若返りのハーブとして有名なローズマリーから蒸留されたハンガリー水が現れました。 伝説では、尼僧が女王にその製法を教え、女王はハンガリー水を使用することにより、若さと美しさを取り戻し、70歳になっても男性を魅了し、数多くの取り巻きがいたと言われています。 <16世紀~17世紀> ・1533年、カトリーヌ・ド・メディチがフローレンスからフランスに行き、後のアンリ2世と結婚しましたが、カトリーヌ・ド・メディチは、当時、香水産業が発達していたイタリアから2人の調香師を連れてきました。 ・当時、身体を洗うという習慣がほぼ無かった為、その身体の悪臭を隠すために、香りを身につけていました。 |
第7回 【近代~現代の香り】 |
<18世紀ヨーロッパ> ・下水設備が整っておらず、入浴の習慣も一般的でなかったため、17世紀に引き続き、18世紀の人々も体臭を隠すために好んで香りを持ちいました。 中でも香り好きで有名だったのは、フランス革命の悲劇の女王マリー・アントワネットと英雄ナポレオン。 ムスクやアンバーなど動物性の香りが一般的だった当時、マリー・アントワネットが好んだのはバラやスミレなどの女性的な香りで、特注のフローラル系の香水をつけていたため、どこにいてもその所在が分かってしまったそうです。 ナポレオンが好んだのは、柑橘系の軽めのもの。 一方、妻ジョセフィーヌはローズや麝香の香りが好きで、夫とは好みが合わず、不和の原因にもなったと言われています。 ・ドイツのケルンでオーデコロンが製品化されたのも、この頃。 もともとはケルン水と呼ばれており、ウオッカにベルガモット、ネロリ、ラベンダー、ローズマリーの精油を加えたものだったようです。 ナポレオンも愛用者で、ドイツに進軍した多くのフランス兵が妻や恋人への土産として買い求めました。 同時期、イギリスでは香水風呂がはやり、フランスでは香水専門店が開店。 香りの化粧品としての役割と、医薬品としての役割が分化してきたのだと思われますが、この頃はまだ香りに治療効果も求められており、オーデコロンは疲労や病気から回復するためにも使われました。 ・イギリスでは口臭予防のため、オレンジの皮、シナモン、クローブ、イバラの葉などが売られていました。 <19世紀> <20世紀> <21世紀・・・> |